自然薬の歴史
昭和42年7月に㈱和漢薬研究所・赤城工場での医薬品製造が操業開始となりました。「何故?赤城の地」が選ばれたのか?
群馬県赤城山は、主峰黒桧(くろび)岳を中心に、小黒桧、地蔵、長七郎、荒山、鍋割、鈴ヶ岳の2000mに近い七峰を有し、二つの沼(大沼、小沼)と共に、赤木山と称され、古代から神話、伝説、情話に富む土地柄で、日照時間が長く、当時東京から約3~4時間の地である好条件を満たしていました。今は「上越新幹線」「関越自動車道」の開通で都心への時間が更に短縮され、通勤圏になりました。
東洋医学界の最高権威である大塚敬節、矢数道明両先生を筆頭に、相見三郎先生、山田光胤先生、寺師睦済先生を顧問として、赤城の水質と土質を生かして創製されたのが松寿仙と「朱竹の薬」の数々です。