先祖伝来 ~松ちゃんがつなぐ歴史~ ②
眠っていたところに突然やってきたご先祖様の四代目松ちゃん。松ちゃん、もとい七代目松ちゃんの頑張りを見てその手伝いをしてくれるというのです。
果たしてそれは和漢薬研究所、ひいては松寿仙の始まりの物語なのでした。
で、どこまで話したかのう。。
横手一二(よこていちじ)さんの半生と和漢薬研究所の前身となる会社の設立まででした。
そうか、そうじゃったのう。。
それでこの後どうやって松寿仙ができるんですか?早く教えてください!
焦るんじゃない、物事には順序があるんじゃ。一歩ずつ進まなくては本質的な理解はできんぞ。
わ、わかりました。続きをお願いします。
よろしい。横手一二さんは日本全体の衛生環境、栄養状態の悪さを憂いておった。だからこそそういった状況を少しでも良い方向へ変えられればと思われ会社を設立されたのじゃ。。
志が高いですね。
うむ。当時はそういった志を持った企業も多く、日本全体の衛生環境や栄養状態は少しずつ改善していったのじゃ。
よかった。これでまずは一安心ですね。
うむ。しかし暮らし向きが改善する一方で新たな問題も起こってきたのじゃ。
新たな問題?一体それは…?
それが「薬害問題」じゃ。
薬害問題?。
そう。安全評価や副作用の管理が不十分な薬が逆に健康を損ねてしまうことがあるのじゃ。だからこそ薬は気を付けて取り扱わねばならん。
そんなことがあったんですね。とても残念です。
そう、とても残念なことなのじゃ。そして横手一二さんは人の悩みを解決する薬が人を苦しめるということに疑問を感じていたのじゃ。
その疑問はもっともです。
そんな疑問を持ちつつも仕事に打ち込んでいたある時、健康に関する新たな事業を始めることになったのじゃ。
新たな事業?
そう。自然薬の製造と販売に関する事業じゃ。
どんどん核心に近づいてる気がする!
その取り組みを通じて横手一二さんはとあることを確信したのじゃ。
とあること?
そう。それは『人間の幸せの根底は健康であり、また自然の力が健康の基本である』という確信じゃ。
だんだん松寿仙が見えてきましたね。
うむ。薬害問題に疑問を抱いていた横手一二さんにはまさに天啓のひらめきの如き確信だったのじゃ。
その確信をこの後形にしていかれるわけですね。
その確信を得るに至る過程で東洋医学の重要性にも思い至ったのじゃ。
東洋医学の重要性?
言い換えれば自然の力を得た医薬品の重要性ともいえるじゃろう。自然を利用した先人の知恵は現代の医療に通じる医薬の原点ともいえる。
自然から薬を得るという先人の知恵の集大成ですものね。
思い立ったらすぐに行動に移す横手一二さんは漢方の大家として名高い大塚敬節(おおつかよしのり)先生、山田光胤(やまだてるたね)先生にコンタクトを取り東洋医学、漢方などについて教えを請い、助言をいただいたのじゃ。これがご縁で先生方とは永らくお付き合いが続くことになる。
すごい人物だぁ。
そしてそのご助言を基に自然薬の製造に取り掛かるのじゃ。
「取り掛かるのじゃ」って簡単に言いますけど…
くすりの研究創剤にはそれにふさわしい環境設備が要求される。本来のくすりの価値を発揮できるような立地として空気、水、土壌の良い条件がそろった群馬県の名山である赤城山の中腹に和漢薬研究所を建設することに決めたのじゃ。
ここで和漢薬研究所が出てくるんですね!
そして昭和42年に和漢薬研究所赤城工場が完成するのじゃ。ちなみに企業としての株式会社和漢薬研究所はその二年前に設立されておる。
和漢薬研究所も完成しましたし、松寿仙の登場ももうすぐですね。
楽しみにしていた分、感動も大きいじゃろう。
ええ、そりゃもう!
さあお待ちかねの松寿仙の誕生物語もクライマックスじゃが、一つ問題があるのじゃ。
問題?何か横手一二さんに大きなトラブルが待ち構えているのですか?!
それはな…
それは…?
ページが足らんのじゃ!
ズコー!じ、次回もお楽しみに!