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先祖伝来 ~松ちゃんがつなぐ歴史~ ①

一日の仕事を終え自宅ですやすや眠る松ちゃん。今日も一日頑張ったのでぐっすりです。
そんな松ちゃんを呼ぶ声がします。これはゆめかまぼろしか。

松ちゃん。松ちゃん。

うーん、むにゃむにゃ?僕を呼ぶのはどこ?

何を寝ぼけとるんじゃ、ほれ、起きるのじゃ。

うーん、むにゃむにゃ、あと五分。。。

トホホ。わしの末裔がこんな体たらくとは情けないのお。ええい起きんか!

わっ!びっくりした!あ、あなたは?

やっと起きたか。コホン、わしは4代目松ちゃんじゃ。

4代目松ちゃん?何を言っているのさ、松ちゃんは僕だけだよ!

そう思うのも無理はない、だがおぬしは実は7代目なのじゃ。

ガーン そ、そうだったのか。言われてみれば確かにあなたは僕に似ている気がする。

というよりはおぬしがわしに似ておるんじゃ。

それで、4代目松ちゃんのあなたが僕に何の用ですか?僕は忙しいんですから。

助けに来てやったのに失礼な奴じゃのう。 それはじゃな、松寿仙を世の中に広めようとしておるおぬしの働きを見て何か手伝えればと思ったのじゃ。

確かに松寿仙を広めるために今は群馬の工場の皆さんを取材してそこで得た情報をLINEをはじめとした媒体で発信しています。

LINEは便利じゃからな。わしのころは電話、ちょっと進んでもポケベル程度じゃったからの。

心の声(LINE知ってるんだ。。。)

失礼な。わしだってLINEくらいは使うぞい。

心が読まれてる~!?どうして!?

ハハハ細かいことは気にせん事じゃ。

それで、何を手伝ってくださるのですか?

おお、そうじゃった。そうじゃった。 実はの、おぬしに松寿仙の歴史を話してやろうかと思っての。

松寿仙の歴史?

そうじゃ。松寿仙は2018年に50周年を迎えたのは知っておるな。

ええ、半世紀以上愛されている商品ということで話題になりました。

じゃが、松寿仙や和漢薬研究所の始まりの物語はどれくらい知っておるかのう?

始まりの物語…うーん、確かに知らないことが多いです。

うむ、素直でよろしい。なのでわしが直々に教えてやろうというわけじゃ。

ぜひお願いします!

まずは松寿仙が世に出る前の話として現在の和漢薬研究所の創業者について触れねばならぬ。

和漢薬研究所の創業者?

そう、わしらの生みの親と言ってもいいだろう。その名は横手一二(よこて いちじ)さんじゃ。

お生まれはいつなんですか?

明治44年11月21日に群馬県で生まれたのじゃ。

明治のお生まれなんですか!

小学校から成績優秀で、全国から選抜された近衛騎兵隊へ入隊し、その後陸軍士官学校へ進んだのじゃ。

軍隊…今の日本では時代を感じる言葉ですね。

第二次世界大戦では南方軍総司令官の副官を務めて、終戦後は陸軍省に帰省し残務整理にあたった。

まだ和漢薬研究所のわの字も見えてこないですね。

これこれ焦るでない。さて、戦後の日本の生活環境は大変で、特に衛生環境は酷いものだった。 ノミ、シラミとの共同生活をしなければならないような有様だったそうじゃ。

今の時代を生きる私たちには想像できない過酷さですね。

横手さんはこの国民の非衛生的な生活を改善するために防疫殺虫剤などを販売する会社を設立したんじゃ。

いつの時代も国民の課題を解決するために立ち上がる人がいるんですね。

そうじゃ、横手さんの活動のベースとなっているのは感謝の心なんじゃ。

感謝の心?

自分が生きているのは自分だけの力ではなく多くの人の支えがあっての事、もっと言えば大自然に生かされているという感謝じゃ。 国民の生活環境を改善しようと会社を興したのもそのたくさんの人の恩に報いるためだったのじゃろう。

確かに今僕がここにいるのは松寿仙の原料をとってくれる人、松寿仙を製造してくれる人、松寿仙を飲んでくれる人がいるからこそですものね。 当たり前のようで当たり前じゃないんですね。本当に感謝ですね。

創業者の心が少しずつ分かってきたようじゃの。松寿仙の誕生はこういった創業者の思いが根底にあるのじゃ。

知らないことがたくさんありました。もっと教えてください!

これこれ慌てるでない。実は「とある出来事」が松寿仙が世の中に生み出されるきっかけとなるのじゃ。

「とある出来事」?教えてください!

それはの…

それは…?

次回に続くんじゃ!

ズコー! じ、次回もお楽しみに!

ムラサキ
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㈱和漢薬研究所の滋養強壮薬

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